2010年11月14日

パックマン

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11R 終了のゴング
ここでね、止めるか? 行かせるか?
っていう、セコンドの判断というのはね、かつてマニラのスリラーで、エディ・ファッチトレーナーが、ジョー・フレイジャーを止めたでしょ。これ以上行ったって勝てない、もう消耗しきってるって。あれと同じですよ。
ただね、ファイターっていうのはね、試合を自分で放棄したくないんですよ。

12R 開始のゴング
だって、男の誇りを賭けて闘ってんですから。
闘う以上は、まだ勝つチャンスがあるわけですよ、マルガリートにはね。

以上、ジョーさん(サイト内の “ジョー小泉のひとりごと” はヤバいっすよ)の実況生中継の解説の一部。

12年前、フライ級の世界チャンピオンだった。
12年間、身体をつくりつづけてきた男が今日、スーパーウェルター級の世界チャンピオンになった。
六階級制覇を成し遂げたフィリピン(アジア)の英雄 “エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ” に歓喜し、脱帽し、勇気をいただいた。

俺っちは、明日から、社交しながら勝負しにパリフォトに行ってきま〜す!

投稿者 町口覚 : 17:00

2010年11月08日

ポスターを貼って生きてきた。

明後日の水曜日。
渋谷のポスターハリスギャラリーで、ウルトラポスターハリスターの笹目浩之さん、編集者の藤本真佐夫さんと話します。昔、俺っちがつくった(「あゝ、荒野」写真・森山大道、短歌・寺山修司、音楽・阿部薫の)スライドも上映しまっす。戦後の復興から大阪万博に向かって急成長した時代の(下記)ポスターも展示しています。

・河野鷹思「Picnic」(1955)
・氏原忠夫「三人姉妹」(1956)
・粟津潔「ネクラソフ」(1956)
・山城隆一/粟津潔「国定忠治」(1958)
・宇野亜喜良「読書週間」(1959)
・山城隆一/永井一正「日本のデザイン展望」(1960)
・宇野亜喜良「越路吹雪リサイタル」(1965)
・横尾忠則「終りの美学」(1966)
・早川良雄「第五回東京国際版画ビエンナーレ展一九六六」(1966)
・田中一光「人形浄瑠璃・文学」(1966)
・横尾忠則「ジョン・シルバー 新宿恋しや夜鳴篇」(1967)
・横尾忠則「天井桟敷定期会員募集」(1967)
・杉浦康平「長岡現代美術館賞展」(1967)
・長友啓典/加納典明「ジャンセン」(1967)
・宇野亜喜良「星の王子さま」(1968)
・宇野亜喜良「新宿版千一夜物語」(1968)
・串田光弘「ヴェト・ロック」(1968)
・杉浦康平「ORCHESTRAL SPACE ’68」(1968)
・灘本唯人「MARIE」(1968)
・福田繁雄/操上和美「EXPO ’70」(1968)
・伊坂芳太良「WINDOW.5」(1969)
・粟津潔「犬神」(1969)
・横尾忠則「椿説弓張月」(1969)
・赤瀬川原平「少女都市」(1969)

是非御来場くださいませ。

投稿者 町口覚 : 19:36

2010年10月19日

はじまりと歩き方

来週の月曜日。
馬車道のヨコハマ創造都市センターで、写真家の大森克己さんと話します。
ふたりではじめたこと、いまからはじめること、これからはじまることなんかを話そうかな、と思っています。

来週の日曜日。
神保町の東京堂書店で、ブックディレクターの幅允孝くんと話します。
本の造り方、本の伝え方、本屋の歩き方なんかを話そうかな、と思っています。

是非御来場くださいませ。

投稿者 町口覚 : 10:20

2010年09月29日

公開最終審査会

今週の金曜日。
銀座のガーディアン・ガーデンで、公開最終審査会しまっす。
天野祐子さん、いしかわみちこさん、伊藤哲郎くん、神崎雄三くん、金瑞姫さん、山野浩司くんの最終プレゼン。
グランプリは誰の手に?
是非御来場くださ〜い。

投稿者 町口覚 : 02:10

2010年09月14日

田村彰英

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今週の金曜日。
御茶ノ水のギャラリーバウハウスで、写真家の田村(元)シゲル(今、彰英)さん(上の写真は雑誌『遊』創刊号の目次。刊行日はピッたり三十九年前)、上野修さん、馬鹿兄弟の四人で話します(たぶん兄弟喧嘩有り)。
『遊』創刊号に、いきなり十二頁をブチ抜いた話はしないにしても、いろいろ話したいことが山沢山。
是非御来場くださ〜い。

下記『遊』創刊号の百三十一頁に掲載されている(俺っちが大好きな)文章。


《遊》刊行前夜

オブジェ・マガジン《遊》は、当初、仮面社において図書誌「仮面」として企画され、その後、仮面社より松岡正剛に単独編集の依頼があって、その名称を《遊》と変え、準備が進められていた。一九七〇年六月のことである。
《遊》は十一月創刊をめざし、その原稿のほぼ全てを入稿、小島武氏のED作業も加って、発刊を待つばかりとなっていたのであったが、一天降雨、仮面社側事情から《遊》のゲラは印刷所の棚にストップされる憂目に逢った。仮面社は《遊》の刊行を断念、自動的に残骸《遊》は松岡および小島氏の手元に託された。
その後の再開には、印刷所側の原稿紛失なども絡み、約四ケ月間を要した。定森義雄・上杉義隆・高橋秀元の三名が加わり、《遊》刊行準備団としての工作舎が生れたのは、やっと四月中旬であった。この過程で工作舎の代表に中上千里夫があたり、一方、小島氏はいったん《遊》を離れることになった。小島氏が《遊》のベーシック・デザインに与えた内容と労苦は甚大であり、ここに誌上を借りて謝意を表しておきたい。
以上の経過は当然ながら多くの人たち、とりわけ執筆者および読者諸兄の方々に大変な寛大と待機を強要することになった。これらの方々の協力がなければ、《遊》は全く生れえなかったといえる。このことは本誌創刊号の誌面にどうしても銘記したかった。
さて、ちょうど一年の雌伏仮死の季を終えて《遊》を難産するにあたって、いったいこれほどのスレスレ状態をもって《遊》を出すのはどういうつもりか、などと問われる日が多くなってきた。が、問われるたびによくよく考えてみたところで、そんな落ち着いた理由があろうはずもなく、ただ少々の力を蓄えつつ、現代史の死角にうずくまる物々と物々に憑れる人々と共に、或る〝兆〟を求めてみるだけのことなのだ。オブジェ・マガジンという一見サラリとした名称も、そんなけしきばみをタイトルふうにまとめてみたにすぎない。〝物冊子〟とでも名付ければ少しは本意に近くもなろうが、本意に達するのも三、四号まではおぼつかない。それまで御愛読を期待する。
以下、一部読者には公表した2号〜6号の企画予定を主項目のみ再録する。
玩具、時間論、地球、折口民俗学、ピアノ論、ウォーホール、宇宙模型、実験医学、武器、細菌学、エルンスト・マッハ、人形、雲、原始美術、イスラム観念、柿本人麻呂、ダヴィンチ、素領域概念、ドス・パソス、化石学、ザ・ビートルズ、日本列島論、国家論、ウパニシャッド、ポオ、鳥類、デュシャン、星、ヒルベルト空間、機械学、バッハ、内乱論、海底地形、韻律論……その他。


ね? ヤバいでしょ。

投稿者 町口覚 : 02:15