« 2017年06月 | メイン

2017年07月21日

GALLERY X BY PARCO

明日16時45分から写真家のハービー・山口さんとトークをします。お近くの方は是非ご来場下さい。

投稿者 町口覚 :19:52

2017年07月17日

八戸ブックセンター

本日16時から写真家の田附勝とトークをします。お近くの方は是非ご来場下さい。

投稿者 町口覚 :01:52

2017年07月14日

写真集『Sakiko Nomura: Ango』

本日〝先行予約販売〟を開始しました!

僕が現在、本当に欲しかった〝書物〟を造りました!
本に触れ、捲り、一冊の本という空間の中で交錯させた〝言葉〟と〝写真〟を感じとってください!

ここに本書あとがきを記します。

戦争に対する態度

 本書は、坂口安吾の短編小説『戦争と一人の女』【無削除版】に、野村佐紀子が撮影した写真作品を加え、新たに編集し造本した〝書物〟である。

 1938(昭和13)年、僕の父は満洲国営口に生れた。1945(昭和20)年、日本の敗戦によって満州国は崩壊し、父と家族たちは生活の拠り所を失った。1946(昭和21)年、彼らは内地へ向かう船の出る葫蘆島にやっとのことでたどり着き、博多港に引揚げてきた。
 父は、自らが引揚げてきた時と同じ8歳になった僕を、当時住んでいた横浜から東京まで丸々半日を使って歩かせた。僕の弟が8歳になった時には、博多港に連れて行った。僕も弟もその時の記憶は曖昧だ。だから父が引揚げてきた時の記憶も曖昧なはずだ。だがそこには、僕の近くに戦争はなくても、戦争に対する父の〝態度〟があった。記憶が曖昧だった父もきっと、僕が父の戦争に対する態度に接したのと同じように、当時、誰かの戦争に対する〝態度〟に接していたはずだ。

 1913(大正2)年、野村佐紀子の祖母は大分県玖珠郡で生れた。1935(昭和10)年、満洲国哈爾濱へ入植。1945(昭和20)年、日本の敗戦によって満州国は崩壊し、彼女と家族たちは生活の拠り所を失った。1946(昭和21)年、彼女らは内地へ向かう船の出る葫蘆島にやっとのことでたどり着き、博多港に引揚げてきた。
 僕の父と、野村佐紀子の祖母は、満州国から引揚げてくるまでの時間をある程度共有している。だから僕と同じように、佐紀子の近くに戦争はなくても、戦争に対する祖母の〝態度〟があったと思う。ただ、僕と異なるのは、佐紀子の祖母が引揚げてきた時には、すでに33歳になっていたということだ。佐紀子の祖母の記憶は、僕の父のように曖昧ではなかったはずだ。

 坂口安吾の『戦争と一人の女』は、そんな僕の父と、野村佐紀子の祖母が、満洲国から引揚げてきた年と同じ1946(昭和21)年に発表された。
 安吾、40歳の時だった。

 僕と野村佐紀子の近くに〝戦争〟はない、はずだった。戦争に対する〝態度〟が残っている、だけのはずだった。しかし僕は現在、世界のようすが、おかしくなっていると全身で感じている。戦争に対する残された態度ではなく、戦争自体が僕たちの近くにいる気がしてならないのだ。だから現在、僕はこの『戦争と一人の女』を文化が異なる国の言語にも翻訳し、世界に向けて発表することにした。
 辞書で「態度」という言葉を引いてみた。
〝情況に対応して自己の感情や意志を外形に表したもの。表情・身ぶり・言葉つきなど。また、事物に対する固定的な心のかまえ・考え方・行動傾向をも指す。(岩波書店/広辞苑 第六版)〟と、記されていた。
 言葉で戦争に対する〝態度〟を残した坂口安吾は、『戦争と一人の女』の最後をこう締めくくっている。
〝戦争は終ったのか、と、野村は女の肢体をむさぼり眺めながら、ますますつめたく冴えわたるように考えつづけた。〟

 僕の父は、生きている。昨年、野村佐紀子の祖母は102歳で亡くなった。佐紀子はまだ、祖母の遺品を整理できていない。ますますつめたく冴えわたるように考えつづけよう。せっかく僕たちの近くには、戦争に対する〝態度〟がしっかりと残っているのだから。

2017年、夏の気配を感じる仮宿にて
町口 覚

投稿者 町口覚 :18:00

2017年07月06日

PARIS PHOTO 2017

十年連続出展決定

投稿者 町口覚 :01:57